さいとうれんたろう
おかしライター

1981年、ニューヨーク大学へ英語留学。その後、メイン芸術大学(絵画、彫刻、陶芸) を経て、ニューヨークパーソンズデザイン大学ファッションデザイン学科卒業。クチュー ル系デザイナーに師事後、デザイナーとして活動。2001年2月、日本に帰国。デザイナー 、コーディネーター、翻訳、通訳などしながら、気ままに執筆/創作活動中。

05.14.2012

坊や・・・"女"も"世の中"も、こんなもんよぉ~



イギリスの怒れる若者/トニー・リチャードソン監督とヌーベルヴァグ女優/ジャンヌ・モローが組んだ"あの"名作「マドモアゼル」が、遂に日本でDVD化されました!ジャン・ジュネの自叙伝的な内容といわれる本作は、女性と正義の不条理を描くトラウマ映画として知られています。


舞台はフランス南部の小さな村・・・"マドモアゼル"と呼ばれている都会風の女教師ジャンヌ・モローは村人から尊敬の念を集めるインテリのオールドミス。出稼ぎにきている貧しいイタリア人の男やもめ・マヌーの息子・ブルーノを学校に通うように薦め、当初は個人授業するほどの優しさをみせます。実は彼女・・・森で昼寝をするマヌーの体を木陰から覗いて舌なめずりするほど、彼の逞しい肉体に心奪われてしまいます。他の村の女たちもマヌーには興味津々・・・村から離れた空き地でいちゃついていることも茶飯事。


ところが最近、水門が開けられて村が水浸しになったり、家畜が毒の入った水を飲んでバタバタと死んだり、火の気のないところで火事が起きたりします。事件のたびマヌーは村のために勇敢に手助けするのですが、村の男達はマヌーが一連の事件の犯人でないかと怪しんでいます。これは自分たちの村の女が彼に寝取られていることを察しての嫉妬心からに他なりません。しかし、マヌーの肉体を素直に求められない欲求不満から事件を起こしていたのは、マドモアゼルでした。そして、その事実を偶然知ってしまったのはマヌーの息子・ブルーノだけ・・・しかしマドモアゼルを慕うブルーノは、誰にも明かすこともせず証拠まで隠滅するのです。


満を持したかのうように、マドモアゼルはマヌーから誘惑され、無言でやりまくる獣のような二人・・・やがて泥だらけの靴にまで口づけをするマドモアゼルの姿に、マヌーは勝利の高笑いをします。都会のインテリ女を服従させたのですから!翌朝、マドモアゼルは"意図的"に泥だらけで破れたドレスのまま村へ帰ります。その姿を見て、彼女がマヌーによって強姦されたと確信する村人達・・・その結果、マヌーは村はずれで村人達によって撲殺され、警察までもグルになって失踪事件として処理されてしまうのです。


村人に惜しまれつつ、パリへ旅立つマドモアゼル・・・その姿をみて、ひとり真実を知るブルーノは彼女に向かって唾を吐きつけます。このブルーノこそがジャン・ジュネの少年時代の姿・・・売春婦の母に捨てられ、木こりの夫婦の養子となったジュネの経歴と重なります。女は誰でも「マドモアゼル」のような邪悪になれるのではないか?世の中に本当は正義なんてないのかもしれない・・・この映画を観ると、そんな不安を拭いきれなくなってしまうのです。


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03.28.2012

みんなマリリンにメロメロだったの!



ミッシェル・ウィリアムズがマリリン・モンローを演じてアカデミー賞主演女優賞候補になった「マリリン 7日間の恋」・・・第3助監督(現場のパシリ役!)のコリーン・クラークが妄想して書いたとしか思えない(?)回顧録を元にした、一応「実話」であります。舞台となったのは、1957年に公開された「王子と踊り子」という映画の撮影現場です。


「王子と踊り子」は元々、エリザベス女王戴冠式(1953年)の際に、ローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーで演じられることを前提に書かれた舞台劇であります。そして、その映画化権を購入したのは、「バス停留所」で演技開眼したと言われるマリリン・モンロー・・・独立プロを立ち上げての第1回作品として「王子と踊り子」を映画化する際に、ローレンス.オリヴィエに製作、監督を仰いだという次第なのです。ローレンス・オリヴィエと言えば、当時イギリス演劇界のキング・・・ヴィヴィアン・リーは彼の妻としてレディ・オリヴィエとして君臨していたのです。ただ、舞台で"踊り子"役を演じたヴィヴィアン・リーは当時、44歳。年齢的にスクリーンで"若い"踊り子役を演じるのは正直厳しい・・・ヴィヴィアン・リーにとっては苦々しい思いであったことが忍ばれます。


テクニックを駆使した古典的な演技法のローレンス・オリヴィエと、当時メソッド演技法に取り組み始めたマリリン.モンローの演技法の違いがあったと言われていますが・・・演劇界のキングとしてのローレンス・オリヴィエのプライドや、マリリン・モンローの遅刻癖なども、現場での確執の原因であったようです。しかし・・・「王子と踊り子」を観るかぎり、マリリン・モンローは"いつもどおり"の「マリリン・モンローの役」を、のびのびと演じきっているようにしかみえません。撮影現場でのゴタゴタにも関わらず、マリリン・モンローの「女優魂」を感じさせるのであります。


「マリリン 7日間の恋」で描かれた23歳の青年とマリリン・モンローの恋の真偽は別として、結局のところ、ローレンス・オリヴィエも、その場にいた人々は多かれ少なかれ、マリリン・モンローの魅力によって、彼女のペースに巻き込まれたのかもしれません。それは、ローレンス・オリヴィエを、スクリーン上では完全に喰ってしまっているマリリン・モンローを「王子と踊り子」で観れば、明らかなことに思えるのです。


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02.05.2012

"鞭"をふるって"玉の輿"にのるわ!



19世紀後半のオーストリアの伯爵で「毛皮のヴィーナス」などの著書により、肉体的な苦痛を快感と感じる"マゾヒズム"の語源となった作家マゾッホ・・・医師夫人だったアンナ・コトウィッツや、奴隷契約書を交わした女優マニー・ピストールなどの女性遍歴を経て、本作「作家マゾッホ 愛の日々」の主人公で、妻となるワンダことアウローラ・リューメリンと出会うのです。


彼女は貸本屋小説を読み耽って"玉の輿"を夢見ていた貧しい出身のお針子だったそうですが、生活のため売春婦でもあったとも言われています。上流階級に成り上がる手段として、名家の出であったマゾッホに狙いを定め「毛皮のヴィーナス」の主人公と同じ名前の"ワンダ"を名乗り、マゾッホにファンレターを書きます。当時の常識からすると大胆で積極的な行動が功を博したのか、彼女は思惑通りマゾッホ夫人の座を射止めることとなります。そして、マゾッホは彼女に「ワンダ」を名乗らせて、貴婦人のように仕立て上げていくのです。さらに、想像力を刺激して創作意欲を挑発し続けるために、彼女と奴隷契約書を交わして、小説の筋書き通りのプレイを強要し、隷従していったのであります。


映画では「いやよ、いやよ」と言いながら、鞭をふるい、ブーツで踏みつけたり、マゾッホの目の前で他の男とセックスさせられた・・・ということになっているのですが、マゾッホの性癖を利用して、まんまと"玉の輿"にのったほどの彼女にとって、そのような倒錯的な行為をすることこそ、妻の立場を守る方法であったのかもしれません。しかし、マゾッホは結婚後も、女中のマリー、助産婦のツュルビゼッガー夫人など数多くの女と変態セックスに興じていたのありますから、どうしようもありません。仕舞いに、マゾッホはフルダ・マイスターという若い女性と愛し合うようになり、彼女の元を去っていきます。それでも彼女はマゾッホ夫人であることを主張し続けたというのですから、上流階級への執着は捨てられなかったのでしょうか?最後には「毛皮のヴィーナス」の主人公のように、ひとり取り残されてしまったということです。


本作は「父パドーレ・パドローネ」などで知られるタヴァアーニ兄弟の下の弟フランコ・ブロジ・タヴァアーニ監督による1980年製作の文芸エロティック。重厚な作風とマゾッホ演じるパオロ・マルコの怪演が相まって、不思議な雰囲気を漂わせた作品に仕上がっております。ただ、内容的には下世話なエロということもあってか、今では日本国内のレンタル落ちビデオが僅かに出回っているぐらいで、世界的にみても「観ることの難しい映画」のひとつになってしまっているのは、残念極まりないことであります。


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01.09.2012

"おとこ"を乗り換えて"おんな"は進化するのよ!



ボヤボヤしてたら2012年になってました。今年もヨロシクお願いいたします。


ボクのようなアラフィフ世代にとって・・・ジェーン・フォンダという女優は、女性映画ブームの中で「自立する女」の象徴でした。「ジュリア」(77年)「帰郷」(78年)「チャイナ・シンドローム」(79年)「9時から5時まで」(80年)は、商業的な成功や役者としての名誉だけでなく、政治的影響や当時の社会を反映させていた作品に続けて主演した、まさに「時代を代表する女優」だったのです。


そんなジェーン・フォンダの最初の結婚相手は、フランスの映画監督ロジェ・ヴァデム。この監督・・・とにかく無類の女好き。ブリジット・バルドーと結婚してセックスシンボルとしてスターに仕立て上げ、バルドーとの離婚後にはデンマーク人女優と結婚して、エロティック映画でデビューさせます。その女優との離婚後すぐに、カトリーヌ・ドヌーブと交際(息子はもうけるが結婚はせず)し、またしても自分の映画に起用。女優を手篭めにして輝かせる手管は見事としか言えません。


ジェーン・フォンダとは1965年に結婚。勿論、数々のエロティック映画に主演させることになるのですが・・・その中でもカルト映画として人気があるのが「バーバレラ」であります。その後「自立する女」として知られることになるジェーン・フォンダとは思えないエロさ爆発です。今観ると他愛ないお色気ムービーですが、製作当時(1968年)に乳首出しはほぼポルノ!


でも、エロ監督に騙されて脱がされた・・・というわけではないようです。ヘンリー・フォンダの娘として映画デビューしたものパッとしなかったジェーン・フォンの魅力を輝かせたのは、実はロジェ・ヴァデム。フランス経由で国際女優として認められ・・・売春婦を演じた「コールガール」ではアカデミー主演女優賞を手にしてしまうのですから。


1970年代初頭、ベトナム戦争の反戦運動を支援し始める頃にはヴァデムとはとっくに別れて、同じ志をもつ政治活動家のトム・ハイドンと結婚。その後、1982年からは、フィットネスブームに便乗して、エアロビクスのビデオを発売して、バカ売れ!自立した女性像から、レオタード姿のエアロビ姐さんとして変身を遂げます。1991年にはCNNの創立者でテッド・ターナーとの3度目の結婚・・・女優として第一線から退く頃には、超金持ちのメディア王との結婚生活。あえて女優という仕事をする必然性はありません。


男を入れ替えながら、実は、力を持った男達を踏み台にして人生を切り開いていったジェーン・フォンダは「自立する女」という以上に「したたかな女」であったのです。


*ところでロバート・ロドリゲス監督による「バーバレラ」リメイクの噂はどうなったのだろう?


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11.01.2011

2年目もよろしくお願いします



ウラノ女史からボブリンへの"Chain Reactions"で繋がったブログの輪・・・「おかしのみみ」を開始して2年目に突入となりました。スタート当時よりも、更新頻度は鈍っておりますが、持続にこそ意味があると信じて続けるつもりですので、今後もよろしくお願いします。


さて、ボクにとって最も重要な映画作品ベスト3のひとつ「愛と憎しみの伝説」については「おかしのみみ」でも取り上げましたが・・・ふたつめの「ジプシー」について語る時がきたようです。実は、この作品についても「めのおかしブログ」で詳しく書いていますので、興味のある方はチェックしてみてください。


「ジプシー」は、またしても「母と娘」の確執の物語であります。バーレスクの劇場を回るファミリー・ミュージカル劇団を取り仕切るステージママのローズ(エセル.マーマン)と、「可愛くない」「才能ない」と虐げられてきた長女のルイーズ(ナタリー・ウッド)の愛憎の物語・・・となれば、ボクの大好物でない"はず"がありません。


成長したルイーズが、ストリッパーの衣装を身につけ、化粧をした後、鏡の中の自分の美しさに気付くシーンは感涙ものであります・・・「Mama! I'm pretty/ママ、私ってキレイだわ!」と納得するようにつぶやき、生まれて初めてのストリップを演じるのですから。翌年(1963年)ナタリー・ウッドの主演した「ウエストサイド物語」の有名なナンバー「I Feel Pretty」と、どこかしらリンクするようなシーンです。


ミュージカルナンバーとしても圧巻なのは「Let Me Entertain You/あなたを楽しまさせて」を歌いながら、ルイーズが徐々にストリッパーとして自信に満ちてくるシークエンスです。ゲイでならずとも"キャンプ・テイスト"のカタルシスに昇天してしまうはず。


ボクの最も好きなシーンは、今や社交界でもてはやされるほどの大スターになったジプシー・ローズ・リーことルイーズの元に、厄介者のように扱われる母親のローズが、楽屋を訪ねてくるところでしょう。相変わらず、あれこれ指示をする母親ローズにルイーズは震える声で訴えます。


「Look at me, mother! I'm a STAR!/ママ、私をみて!私はスターよ!」


このシーンを観るたび、ボクはルイーズと同化してしまうのです。自分はストリップの女王ジプシー・ローズ・リーになのだと陶酔して・・・この映画は、すでにボクの"血"となり"肉"となってしまっているのであります!


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10.20.2011

僕は大きくなったら"女の子"になるの!



ボクが子供の頃(約40年ほど前)には「おとこおんな」などと、侮蔑的に呼ばれていた"女の子みたいな男の子"・・・今では立派に「性同一障害」なんて病名(?)まで付けられて、条件さえ満たせば、戸籍の性別を変更することも可能という時代になりました。しかし、いくら「おネエ系タレント」が流行りだからといって、もしも自分の息子、兄弟、夫、または父親から「女になりたい」と訴えられて「はい、そうですか」と受け入れられるものではありません。


1997年製作のベルギー映画「ぼくのバラ色の人生」は、「女の子」になりたい「男の子」を受け入れていく家族のお話です。タイトル通り(フランス語原題も同じ意味)のプラスティックな極彩色に満ち溢れたポップな映像美と、家族の素朴な愛情を感じさせる描写によって、本作はデリケートなテーマを扱いながらも、シリアスさを感じさせません。


7歳の男の子、リュドヴィック(ジョルジュ・デュ・フレネ)の夢は、テレビ番組の憧れのキャラクターの"パム"が住んでいるような極彩色の美しい世界で、女の子になって、父親の上司の息子のジュロームと結婚すること。「オカマ」なんて言葉の意味さえ知らない純粋なリュドヴィックだから「女の子になりたい」という願いを叶えてあげたくなってしまいます。


アメリカほどではないにしてもヨーロッパでも「男は男らしく」という観念というのは意外に強いようで・・・リュドヴィックも周辺からは差別的な扱いを受けてしいます。学芸会でお姫さま役に成り済まして舞台に上がったことで、リュドヴィックは学校から退学処分。両親は精神科医に相談に通ったり、髪を切ったりして、男らしくさせようとしますが、リュドヴィック自身、自分が「男の子」なのか「女の子」なのか分からず、自殺未遂を計ったりします。頑に「女の子」になろうとするリュドヴィックのせいで、父親は仕事を失うはめになってしまい、一家は引っ越すことになります。


その引っ越し先で、クリスティーヌ/クリスという「男の子」になりたい「女の子」とリュドヴィックが友達になったことで、試行錯誤してきた両親は気付かされます。「男の子」でも「女の子」でも、自分たちの子供であることには変わらない・・・戸惑いながらもリュドヴィックの心を理解するのです。


「男の娘」の出現を予言していたかのような本作・・・男女の性差というのが、希薄なれば、なるほど「男らしさ」「女らしさ」にこだわるのは"同性愛者"なのかもしれないと思ってしまいました。


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09.21.2011

巨乳でビッチが"おしゃれ"なの~



1960年頃から"ソフトコアポルノ映画"を撮り続けていたラス・メイヤー監督の作品は、アメリカではアンダーグラウンドなカルト映画として、キッチュ大好きのゲイや女性上位の世界観に共感するレズビアンにも人気があります。日本では数年前に、ほぼ全作(18作)を劇場公開する映画祭が開催され、DVDボックスも発売されました。エッチな親父が自己資金(!)で製作から、脚本、撮影、監督、編集までやっていた"ソフトコア映画"も、今では"おしゃれ映画"となり女性客を集める・・・かつては女性人権運動家から敵視されたジャンルの映画も、時代が変われば、受け取られ方も変わるものだということなのです。


ラス・メイヤーと言えば・・・出演している女優は全員「巨乳」ということ。その上、出てくる女性は皆、積極的な淫乱女ばかりという男のスケベ願望ストレートな存在。出てくる男性も男性で、筋肉隆々のマッチョとか、男臭くて毛深い田舎者とか、絶倫な肉食系ばかり・・・ラス・メイヤー映画の世界では、誰もが性本能剥き出しで行動するのが"アタリマエ"なのであります。おしゃれ感ならば、巨乳ビッチの女王"トゥラ・サターナ"(実は日系人!)主演の「ファスター・プッシィキャット!キル!キル!」という東映ピンキー映画のルーツのようなエロティック&バイオレンスな映画がベストですが・・・ラス・メイヤーらしい作品となると「ヴィクセン」ではないでしょうか?


カナダの大自然を舞台に、釣りの客のガイドと結婚した若妻ヴィクセンの、自由奔放なセックスライフを描いた作品なのですが・・・森林レンジャーから、釣り客の夫婦(旦那も奥さんもどちらとも!)、そして自分の弟までとエッチしてしまうのだからトンでもありません。生魚をしゃぶったり、胸の谷間に入れたりしながら、踊って誘惑する「フィッシュダンス」は"エロティック"を超えて"シュール"であります。


しかし、エロだけでなく、人種差別、ベトナム戦争の徴兵制度、共産主義といった政治的な要素をぶち込んで、風刺に満ちているのがラス・メイヤーの面白さ。ヴィクセンの弟の親友はアメリカの徴兵制度から逃げてきたアメリカ黒人という設定なのですが、ヴィクセンの彼に対する人種差別っぷりは圧倒的。「サンボ」と呼び捨て「体臭が臭い」などと言いたい放題・・・本作製作当時(1968年)には存在していたであろう人種差別をあからさまにする白人を嘲笑しながらも、差別されている黒人側の問題も皮肉まじりにヴィクセンに指摘させているところはさすが!


差別的な表現を規制する現在では絶対に耳にすることのない台詞の数々こそ、巨乳以上にインパクトを感じさせるのす。


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08.30.2011

忘れられた往年の大女優はまだ50歳!



昔の50歳は、今の50歳と感覚的には、もっと"年寄り"のような気がしたものでした。それは自分自身が年を取ったからだけではないようです。1950年に公開されたビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」のグロリア.スワンソン演じる「ノーマ・デズモンド」というキャラクターは、ドラッグ.クィーンのお手本として、アメリカのゲイカルチャーでは永遠のディーバのような存在であります。


1920年代の大女優だったグロリア・スワンソンは、本作の映画製作時には、役柄と同じく忘れられたサイレント映画の大女優・・・そして大女優の若いツバメとなる売れない脚本家ジョー役には当時実際に売れていなかった若手俳優だったウィリアム・ホールデン、大女優に献身的に仕える執事(そして実は大女優の最初の夫であり、彼女をスカウトした映画監督!)のマックス役には、実際にグロリア.スワンソンとの確執によって映画監督生命を絶たれたエリッヒ・フォン・シュトロハイム・・・そしてサイレント映画時代から1950年代までハリウッドの監督して活躍していたセシル・B・デミルが本人を演じるという「現実」と「虚構」の入り交じったキャスティングで、異様なリアリティーを感じさせるのでした。


黄金時代のハリウッドの非情さと辛辣さを描いた皮肉に満ちた作品といわれる本作ですが・・・年上女性が若い男を自分の思い通りに財力で操ろうとしながらも結果的には捨てられるという、ある意味よくある話でもあります。映画の終盤、自分を捨てて去っていくと分かったノーマはジョーを銃で撃って殺してしまいます。「往年の大スターが殺人!」というスキャンダルに、警察だけでなくマスコミがカメラを持って大邸宅に集まっています。今でも大スターと思い込んで狂ってしまったノーマは、自分が主演女優として復帰する映画の撮影だと思い込んでいます。ずっとノーマの側にいて「虚構」を支えてきたマックスが、かつての映画監督であった時のようにカメラの後ろに回り「アクション!」と叫ぶと、役になりきったノーマはカメラに向かって大袈裟な身振り手振りの演技でカメラに近づいていきます。そして、徐々にモヤに包まれてノーマの姿は消えていき・・・映画は終わります。


驚かされるのは・・・忘れられた往年の大女優であるノーマ・デズモンドが「50歳」であったという設定(演じたグロリア・スワンソン自身は51歳)です。今の時代であれば"熟女"といわれて、モテはやされたりする年齢・・・そして何よりボク自身が、ノーマ・デズモンドと、それほど変わらない年齢であることに、愕然としてしまうのであります。


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07.22.2011

品性なくても尊厳はあるのよ!



ファム・ファタールな女優/テレサ・ラッセルの、一番のハマり役だとボクが思っているのは、変態監督ケン・ラッセルによる「ボンテージ」の"リズ"という娼婦役であります。原題はずばり「WHORE」・・・娼婦という意味ですが「Bitch/牝犬」と並んで、女性に対する罵声として使われることの多い言葉です。ニューヨークで、この映画が公開された際に、映画館や工事中の壁などに「WHORE」というタイトルが目立つポスターが宣伝に貼られていた光景は奇妙でありました。


「ボンテージ」はリズ(テレサ・ラッセル)という街娼の二日間の出来事を回想を交えながら、モノローグでカメラに向かって(!)語るという映画。舞台となっているのは、おそらくアメリカ南部の街のダウンタウン。リズはヒモ男から逃げている最中で、人目につかないトンネル近くで客引きなんかしています。声をかけてくる男たちは、本当に最低な男ばかり・・・言いなりにならないと暴力を振るうなんて当たり前、無理矢理しゃぶらされたり、車内で輪姦されたり。トラブルから守ってくれるはずのヒモ男だって、裏切った売春婦を容赦なく腹を裂いてゴミのよう捨ててしまうのですから。男たちは仕事や家庭で得られなかった癒しを娼婦に求めながら、侮辱したり罵倒したりして、ストレス発散しているかのようです。娼婦は抑圧された人間からいじめを受ける最も弱い立場の人間として描かれ、公開当時アメリカでは「女性の人権を卑下している」とメディアに叩かれたのでした。


猥褻なスラングに満ちあふれたリズの台詞から、あまりの品性のなさには唖然とさせられます。ひと目惚れしたアル中の男(顔だけは良い!)と安易に結婚して子供が生まれる前に家庭崩壊。手早く稼ぐ手段として売春に手を出しているのも、彼女の自業自得なところもあるのです。ぺったんこの尻に、たるんだ腹のゆるい身体も無惨。しかし、彼女は母親として愛情がないわけでもないし、ある意味自立して働く女性でもあり・・・彼女なりの生きる"哲学"を持っていたりします。トイレの個室に他の娼婦が客を連れ込んで「お口のサービス」が終わったとき、リズは唯一の女友達から教わった"ある言葉"をリズは吐き捨ているように言うのです!


「DIGINITY!」


「尊厳」なんて・・・リズには似つかわしくない言葉だけど、決して他者をいじめることはしないリズ。映画の最後で彼女は復讐を果たして最悪の状況からは逃れることができます。そして、ひとりで前向きでたくましく歩いていく・・・そんな彼女の「健気さ」に、ボクは「尊厳」を感じてしまうのです。


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