ウラノ タカコTAU co.,ltd.代表
80年代デザイナーズブランドのプレスを経て'90に株式会社タウを設立。最初に手掛けたPRが伝説のクラブ「GOLD」。以降、ファッションブランド、セレクトショップ、カフェ、クラブ等の立ち上げに参画。「衣」「食」「住」「遊」のすべてが融合した終の棲家をプロデュースすることが目下の夢。
04.25.2011
Les Fleur
この一か月私はいったい何をやっていたのだろう。
もういい加減ブログ更新してくれ~、と友からの切なる依頼(むしろクレーム)を受け、しぶしぶこれを書き始めている。
正直何度も書いては消し、書いては消しを繰り返し、笑っちゃ泣き、引きこもっては立ち上がり、オロオロしては急に強気になってみたり、分裂真っ只中に、今も、ある。
あまり暗いこと書かないでよ、とくぎ刺されてはいるが、根が暗いもんだからあまり上手に明るく元気に前向きなことを書けないの、ごめんね。

なんせ、25年前のあの日、たった一人でパリに撮影に行っていたさなかに、チェルノブイリ原発事故が起きたのだから。
事故の大惨事を実感することもなく、初めて訪れたパリで「カフェオレ シルブプレ」を気取り、おそらく自粛されていたであろうミルクもパンも野菜も大いに満喫していた。
フランス語がわからないことは、よかったのか悪かったのかよくわからないけれど、パニックにならずにすんだのは、幸いだったのかもしれない。
が、帰国してから、さあ、焦った。
いろいろな原発に関するニュースや多くの本が出版され、それを読みまくった。
結婚を目前に控えてたから。
本気で、子供を作るのはやめようと思った。
そのくらい、今とは比べ物にならないほど、おっそろしいことが書いてあった。
やはり他国のことは大げさに伝え、自国のことは控えめに報道するというのが、マスコミの鉄則のようで。
当時パリに短い滞在だったけれどもいたことは事実なわけで、私は、献血ができない。
あれから25年たった今でも。
過去にとらわれず、近い未来に突き進む女性の特技を生かして、かなり前向きなことをお伝えする。
3.11以降、イベント自粛が続き、フリーランスな業界人は、心理的ストレスもさることながら、明日の生活すらどうなるかわからない、二重の不安の中にいた。
そんな中、以前から旧知の演出家林さんのお声掛けで、復興支援のための伝手"tsu・te"プロジェクトが急きょ立ち上がった。

この先この国の未来はどうなるのか、25年前の体験と映画「2012」やらマヤ歴の終わりだなんだかんだで、妄想とノミの心臓とで、身心破壊寸前に、林さんに救われた感じがした。
何かやらないと。
みんなで協力し合わないと。
今後長く続くであろう復興への、ほんの少しでもお役に立ちたい、と。
何もかも、人生初。
みんなが、人生初。
老いも若きも、人生初。
皆が同時に、もしかしたら「死」を垣間見るという瞬間を同時体験するなんてことが、生きてる間に経験するなんて、想像すらできなかった。
想定外。
それが、人生。
それが、生きているということ。
生きている私たちが、私たちの伝手を頼って、伝手が広がって、長くつながっていくこと。
今、25年間の恩返しができればと、思っている。
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